昭和21年8月中国大陸より引揚げた第8次樺林開拓団(香川県栗熊村分村)を中心に集団100戸の開拓村づくりである。旧兵舎の共同生活に始まり、22年4月南方14キロの人里離れた山奥無住地帯に入植。無一物の集団を見て人々は云った、開拓は出来ないと、半年は雪の中、風は強い、山火事は多い。水は不自由、酸性土壌で作物は育たない、入る道もない、悪条件ばかりである。私等はそれでも広い土地、むしろ無人はよい。
美しい国立公園大山、ここに大きな夢を描いた、森は茂り草は背丈に伸びている。
家畜は育つ大丈夫であるけど、水田は無く畑作畜産大型酪農農業である。
ジャングルに大きな天幕(アメリカ軍用)を張り立木で小屋を建て各班毎に作業を割当雪までに小屋に移り越冬、入植と同時に入れた中型戦車(15t)2輌で運搬と交通道路作りに成功した。戦車は開墾にも4年間活動した。
開拓局、農地局に願って地区計画を三ヵ年で樹て、計画的な村つくりをした。交通の要所に主邑をおき10m巾の幹線を四方に伸ばしてその十字路に4戸を四隅に配して集団農場制、反疎居式部落とした。耕地は附近に東西200m×南北100m1画2ha2筆4haの畑放牧採草地4ha,林地2ha計10haが一戸当りで1,000ha以上の広さを求めた。
住宅の四囲、防風林、風致林は立木を買収してそのまま残す。水は4キロ奥の湧水を峰を流して各戸に引き入れその途中で小水力自家発電(60キロ)を建設して生活に便した。
香取村即香取公園を希って京都大学造園学関口博士の指導も願った。山上より見る村は整然として今迄の農村とは異なるすばらしい風影である。28年頃から10年くらい全員が出稼に出てその間半数が離農した。
37年〜38年の特別措置法と41年第1次構造改善事業で酪農は順調に伸びた。53年の乳牛生産整調で過大投資になり大きな借金で苦斗中である。正念場であると云う。私達はこのような正念場を何回も繰り返して56年間やってきたので腰をきめて借金対策と経営改善に協力中である。
村つくり100年計画の道は遠い、人つくりが重大である。金を欲しがるだけでなく人間のよろこびは何かをモサクする開拓でありたい。汗を流して苦斗するよろこびも知った、一山越すと更に山がある。夢は限りなくある開拓人生にはよろこびも一杯あることを体験しつつある。
なお、昭和63年には国土庁(現国土交通省)によるアメニティコンクールで、全国最優秀賞を受賞した。
■第一年次 昭和二一年(一九四六) |
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八月 |
岡山県下、鳥取県下入植地調査 鳥取県大山岩伏地区入植決定 先発隊五十名、長野兵舎到着 |
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十一月 |
草谷地区現地入植式(快晴全山紅葉) |
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■第二年次 昭和二二年(一九四七) |
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一月 |
長野兵舎にて小学校臨時開校 草谷原開拓組合設立 香取開拓団と改称 |
▲15トン戦車による伐採(昭和22年〜23年頃まで)
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四月 |
全員岩伏現地に入植、テント生活一ヶ年 現地伐採住宅建築 |
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五月 |
戦車(中型十五トン1輌)山に入る ジャングルの輸送、抜根、開墾作業 |
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十一月 |
昭和天皇逢坂村兵舎に行幸(開拓者全員出迎) |
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■第三年次 昭和二三年(一九四八) |
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十一月 |
ケーブル工事着手、本部大平間 |
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■第四年次 昭和二四年(一九四九) |
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一月 |
本部事務所移転(第四次)
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■第五年次 昭和二五年(一九五〇) |
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十月 |
米子産業博覧会開拓住宅展示(旧香雲荘)
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■第六年次 昭和二六年(一九五一) |
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四月 |
大平入植 |
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■第七年次 昭和二七年(一九五二) |
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四月 |
大山大火(香取火元) |
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■第八年次 昭和二八年(一九五三) |
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■第九年次 昭和二九年(一九五四) |
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五月 |
大平道路米子自衛隊工事協力 |
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■第十年次 昭和三十年(一九五五) |
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■第十一年次 昭和三一年(一九五六) |
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十二月 |
電話開通 |
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■第十二年次 昭和三二年(一九五七) |
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四月 |
富長道路工事完了 |
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■第十三年次 昭和三三年(一九五八) |
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五月 |
上ノ原緬羊放牧 |
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■第十四年次 昭和三四年(一九五九) |
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■第十五年次 昭和三五年(一九六〇) |
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■第十六年次 昭和三六年(一九六一) |
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十一月 |
入植記念植樹 |
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■第十七年次 昭和三七年(一九六二) |
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集乳所完成 |
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■第十八年次 昭和三八年(一九六三) |
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十月 |
香取分校集会室竣工
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■第十九年次 昭和三九年(一九六四) |
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十月 |
中国電力開通 |
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■第二十年次 昭和四十年(一九六五) |
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十二月 |
バス開通 |
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■第二一年次 昭和四一年(一九六六) |
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十月 |
国営開拓事業完成記念式 記念碑除幕式(農林省) |
▲入植記念碑(昭和47年11月11日)
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十一月
婦人ホーム会館設立 | ||||
■第二二年次 昭和四二年(一九六七) |
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■第二三年次 昭和四三年(一九六八) |
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■第二四年次 昭和四四年(一九六九) |
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六月 |
乾燥作業場建設 |
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九月 |
農事組合法人設立(大三井協業) |
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■第二五年次 昭和四五年(一九七〇) |
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■第二六年次 昭和四六年(一九七一) |
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七月 |
香取本部事務所竣工 |
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■第二七年次 昭和四七年(一九七二) |
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■第二八年次 昭和四八年(一九七三) |
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■第二九年次 昭和四九年(一九七四) |
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二月 |
朝日農業賞授賞式(東京) |
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■第三十年次 昭和五十年(一九七五) |
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■第三一年次 昭和五一年(一九七六) |
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三月 |
牛乳多量出荷者表彰式(大山町、農協) |
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■第三二年次 昭和五二年(一九七七) |
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■第三三年次 昭和五三年(一九七八) |
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三月 |
乳価、酪農政策要望陳情団上京(香取十三名) |
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四月 |
香取村新聞創刊 第一号発行 |
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■第三四年次 昭和五四年(一九七九) |
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■第三五年次 昭和五五年(一九八〇) |
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一月 |
研修センター香雲荘完成(役員立会)
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■第三六年次 昭和五六年(一九八一) |
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十一月 |
香取開拓団、香取村に移行宣言(入植三五周年記念式典で)
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■第三七年次 昭和五七年(一九八二) |
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六月 |
草谷地区バス開通(日本交通) |
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■第三八年次 昭和五八年(一九八三) |
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五月 |
香取圃場整備竣工式 記念碑除幕式(出席百五十名) |
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■第三九年次 昭和五九年(一九八四) |
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■第四十年次 昭和六十年(一九八五) |
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三月 |
全国土地改良功労団体表彰式(東京)銅賞受賞 |
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四月 |
県経済連名和種豚場竣工式 |
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■第四一年次 昭和六一年(一九八六) |
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■第四二年次 昭和六二年(一九八七) |
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十一月 |
チーズ、ヨーグルト手造り加工、着手する |
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■第四三年次 昭和六三年(一九八八) |
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十一月 |
国土庁農村アメニティコンクール最優秀賞決定
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■第四四年次 昭和六四年(一九八九) |
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■第四五年次 平成二年(一九九〇) |
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■第四六年次 平成三年(一九九一) |
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一月 |
公社営畜産基地事業計画着手 |
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■第四七年次 平成四年(一九九二) |
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